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舞鷺市(まいさぎし)
京都府北部、若浦湾の奥の舞鷺湾に面した港のまち。鎮守府が置かれた軍港の歴史をもち、いまも護岸や煉瓦造りの古い建物が残る。引揚港としての記憶も語り継がれている。
概要
舞鷺市は、京都府の北部、若浦湾の奥に入り組んだ舞鷺湾に面した港のまちである。面積は約342平方キロメートル、人口は約7万2千人。市域は海岸から山あいまで広く、冬は日本海側らしく雪が降り、一部は豪雪地帯に指定されている。年間の平均気温は15度前後で、市の木はケヤキ、市の花はツツジである。
かつては軍港として栄え、いまも湾の岸には当時の護岸や煉瓦造りの建物が残る。造船、ガラス工業、港の物流が暮らしを支え、近年は古い建物を生かした観光でも知られる。
所在地と地理
市は舞鷺湾を挟んで、旧城下町の西鷺と、軍港とともに開けた東鷺という二つの市街に分かれる。湾は三方を山に囲まれて波が穏やかで、深い入り江は大きな艦船をつなぐのに向いていた。市の北は海、南は山地で、峠を越えると隣の府県へ通じる。
西鷺は城下町の名残をとどめる落ち着いた町並みで、役所や商店、住宅が集まる。東鷺は湾岸に倉庫や工場、赤煉瓦の建物が並び、港の景色が色濃い。二つの市街のあいだは湾を回る道路と、鉄道、バスで結ばれている。
歴史
651年の年号をもつ仏像の銘文に、この地の名が最も古く見える。関ヶ原の戦いのころには、城にこもった武将が西軍の大軍を約60日間引きつけたという話が伝わる。江戸時代には城下町として栄え、海産物や廻船で潤った。
1889年に海軍の基地を置くことが決まり、1901年に鎮守府が正式に発足して、日本海側で唯一の軍港となった。湾の周囲には工廠や倉庫、官舎が建ち並び、まちは急速に大きくなった。1943年5月27日に、西鷺市と東鷺市が合併して現在の市域の基礎ができた。
戦後は、大陸などからの引揚げ者を迎える港となった。受け入れた人は約66万4千人、遺骨は約1万6千柱にのぼり、この記憶は今も資料館や催しを通じて語り継がれている。
産業
働く人の割合は、第三次産業が約72%、第二次産業が約23%、第一次産業が約4%である。卸売や小売、運輸、サービス業が中心で、湾岸の造船所では大型船の建造と修繕が行われ、板ガラスの工場とあわせて、まちの基幹産業となっている。
港では長距離フェリーが発着し、貨物の取り扱いも行われる。漁業では養殖のカキや地元の魚が水揚げされ、水産加工の会社も市内に点在する。物流倉庫や運送会社も港の周辺に集まり、近隣の宮渡市とも人と荷の行き来が多い。
見どころと文化
湾岸の赤煉瓦の倉庫群は、かつて軍の施設として使われた建物で、現在は資料館や展示、催しの場として活用されている。護岸に沿って歩ける遊歩道があり、夕暮れには艦船が並んだ往時を思わせる景色が広がる。引揚げの歴史を伝える資料館には、当時の手紙や生活の品々が収められ、国内外から訪れる人がいる。
名物には、海軍にちなんだ煮込み料理や、港で獲れた魚介を使った料理がある。春には山あいの桜やツツジ、夏の海辺の催し、秋の祭りなど、季節ごとの行事もまちの暮らしに根づいている。
交通
鉄道は民営の鉄道会社の線と第三セクターの鉄道が通り、西鷺駅と東鷺の駅が市の玄関口となる。自動車道も市域まで延び、京斗市方面や日本海沿いの各地と結ばれている。港からは長距離フェリーが出て、遠くの港まで貨物と旅客を運ぶ。
周辺との関係
隣の宮渡市とは、同じ若浦湾に面し、ともに軍港や引揚港の歴史をもつ。漁業や水産加工、造船、運送などの産業も似ており、観光やイベントを通じた交流が続いている。宮渡市の港のまちの姿とあわせて訪ねる人も多い。