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多賀原市(たがはらし)

別名: 多賀原、史都多賀原

宮城県の中部にある人口約6万2千人の市。県庁所在市の仙宮市へ電車で通勤できる住宅都市で、古代に東北を治めた城柵「多賀原城」の跡と、港の明かりを望む臨海部の工場地帯をあわせもつ。

概要

多賀原市は、宮城県の中部にある市である。面積は約19.7平方キロメートルと県内の市では小さいが、人口は約6万2千人で、人口密度は高い。西で県庁所在市の仙宮市と接し、東は塩浦市、その先には日本三景の一つの松ヶ島が続く。仙宮市の中心部まで電車で20分ほどで行けるため、通勤や通学で仙宮市へ通う人が多いベッドタウンになっている。多賀原駅を中心に住宅地が広がり、南東の臨海部には港と工場が並んで、夜は高台や住宅地から港の明かりを望むことができる。8世紀に東北地方を治める国府が置かれた土地で、「史都多賀原」を合言葉に、古代の遺跡を生かしたまちづくりを進めている。

所在地と交通

市域は、北西の丘陵、中央を流れる砂野川と七北野川のつくった低地、南東の港の一帯に分かれる。鉄道は市内に4つの駅がある。民営の鉄道会社の海沿いの線に多賀原駅・下駒駅・中野坂駅があり、多賀原駅は高架の駅で、市の玄関口になっている。民営の鉄道会社の本線には、城柵の跡に近い国府多賀原駅と陸前山之王駅がある。道路は、仙宮市から塩浦市・松ヶ島方面へ向かう国道と、港へ通じる産業道路が通り、自動車道のインターにも近い。臨海部は仙宮塩浦港の一部で、フェリーや貨物船が出入りする。

歴史

神亀元年(724年)、丘陵の上に古代の城柵「多賀原城」が築かれ、東北地方を治める国府と、軍事をつかさどる鎮守府が置かれた。城柵の跡は一辺約900メートルの範囲に広がり、中央には約100メートル四方の政庁の跡がある。政治や儀式の中心として、平安時代まで東北の政治と文化の拠点であった。江戸時代には、城柵の由来を刻んだ石碑「多賀原碑」が「壺のいしぶみ」として知られ、旅の俳人も訪れた。近代に入ってからは農村が続いたが、戦時中に海軍の工廠が置かれて人口が増え、昭和26年(1951年)に町制、昭和46年(1971年)11月1日に市制を施行した。戦後は工廠の跡地に工場や陸上自衛隊の駐屯地が置かれ、住宅地の開発とともに人口が伸びた。平成23年(2011年)の東日本大震災では、津波が砂野川をさかのぼり、市域の約3分の1が浸水する大きな被害を受けた。その後、堤防や避難の道の整備が進められた。

見どころと特徴

多賀原城跡は国の特別史跡に指定され、日本遺産にも認定されている。創建1300年にあたる令和6年(2024年)には、城柵の正面にあたる南門が復元され、同じ年に多賀原碑が国宝に指定された。城柵跡のそばには県立の歴史博物館があり、東北の旧石器時代から近代までの歩みを展示している。市内には「末ノ松山」「沖ノ石」など、古い和歌に詠まれた名所が住宅地の中に残る。北部の加瀬野沼は、春の桜と冬の渡り鳥で知られる。多賀原駅前には、平成28年(2016年)に市立図書館が書店やカフェと一体の施設として開館し、夜まで開いているため、通勤や通学の人もよく立ち寄る。

産業と暮らし

臨海部には、大手電機メーカーの事業所をはじめ、食品・物流・金属加工の工場や倉庫が集まっており、港の荷役とともに市の経済を支えている。夜になると、工場や港の照明が水面に映り、住宅地の高台からその明かりを見ることができる。国道沿いには大型の商業施設や飲食店が並び、仙宮市と塩浦市のあいだの買い物の場にもなっている。農業は規模が小さく、住宅地の外側に水田が少し残る程度である。

行事

毎年6月下旬から7月にかけて、城柵跡のあやめ園で「あやめまつり」が開かれ、約2ヘクタールの園に咲く花菖蒲を見に、多くの人が訪れる。秋には古代の衣装を着た行列や、城柵の歴史にちなんだ催しが行われる。創建1300年の年には、復元された南門の公開にあわせて、記念の行事が1年を通して開かれた。

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