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稲塚市(いなづかし)

別名: 稲塚

福岡県のほぼ中央にある人口約12万人の市。宿場町と炭鉱の歴史を受け継ぎ、住宅地、総合病院、看護専門学校、大学の学部や研究団地がそろう医療と学びのまち。

概要

稲塚市は、福岡県のほぼ中央に位置する市です。面積は約214平方キロメートル、人口は約12万人で、県の中央部では大きな市にあたります。福丘市の中心部からは東へ35kmほどの距離にあります。市内には住宅地が広がり、総合病院や看護専門学校、大学の学部、研究施設などがそろい、医療と学びのまちとしての性格が強い市です。

地理と所在地

福岡県内の盆地状の平地に市街地が開け、周囲には低い山並みが続きます。市の中心には川が流れ、その流域に古くからの町と新しい住宅地が連なります。市域は平成の合併で広がり、旧来の市街地のほか、山あいの集落や農地も含まれます。市の中心駅の周辺には商店街と事務所が集まり、そこから丘陵の斜面に向かって、戸建てとマンションの住宅地が段々に延びています。山あいの地区では、米づくりや野菜づくりが今も営まれ、市街地との間を路線バスと国道が結んでいます。

歴史

江戸時代には、九州の主要な街道の宿場町として、人や物が行き交う土地でした。藩の領内を通る旅人や荷を運ぶ人のための宿や問屋が通り沿いに並び、町人の暮らしが育ちました。明治以降は近隣一帯が炭田として開かれ、石炭の採掘と積み出しで大きく栄えました。鉄道が敷かれて貨車が行き交い、炭鉱の周りには社宅や商店が増えて、人口も急に伸びました。昭和7年(1932年)に町から市になり、昭和38年(1963年)には近隣の自治体と合併して現在につながる市の形が整いました。炭鉱が閉山したあとは、産業の軸を情報関連や医療、教育へ移しています。平成18年(2006年)には周辺の5つの自治体が合併し、いまの市域となりました。

産業と暮らし

炭鉱の時代のあと、平成15年(2003年)ごろから、大学と連携した情報産業の拠点づくりが進められ、研究団地には情報関連の企業が集まっています。大学の学部と企業の研究室が近くにあり、学生が地元の企業で実習や研究に加わる取り組みも行われています。一方、市内の暮らしを支えているのが医療です。大きな総合病院と、そこで学ぶ人を育てる看護専門学校があり、病院で働く人や学生が多く暮らしています。マンション近くのラーメン店hiyori-ramenや、訪問看護ステーションkazaguruma-houmon-kango-station、工務店nango-homeなど、暮らしに近い店や事業所も市内に根づいています。

医療と教育

総合病院は、救急から専門的な治療までを受け持ち、市内だけでなく周辺の市町からも患者が訪れる地域の中核です。病院に近い場所には看護専門学校があり、卒業した人の多くが市内や近隣の医療機関、福祉施設、在宅の看護の現場で働いています。大学の学部や研究施設は、情報分野と医療分野の連携を進めており、医療の記録や地域の見守りを情報技術で支える試みも行われています。病院、学校、研究団地が近くに集まっていることが、稲塚市の大きな特徴です。

交通とアクセス

市内には鉄道の駅がいくつかあり、中心駅からは福丘市の方面へ、電車でおよそ40分から1時間ほどで行けます。国道と自動車道が市内を通り、高速道路のインターチェンジも近くにあるため、福丘市や北九州方面へ車で出かける人も多くいます。市内の移動には路線バスが使われ、病院や大学へ向かう通院・通学の人で朝夕に混み合います。

地域の行事とまちの姿

市内では、春に川沿いの桜を楽しむ催しや、秋の収穫を祝う祭り、夏の夜の盆踊りなどが開かれ、昔からの住民と新しく移り住んだ人が顔を合わせる機会になっています。炭鉱の記憶を伝える資料や、宿場町の面影を残す通りも市内に残り、歴史を学ぶ見学の場として使われています。住宅地では、近所の小さな公園や商店が日々の暮らしの中心となっています。

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