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加古浜市(かこはまし)
兵庫県南部の播磨灘に面した、人口約25万人の市。大きな川が市域を貫き、駅前の商店街と住宅地、製鉄を中心とした重化学工業、古い寺社や古墳の公園を併せもつ。
| 所在地 | 兵庫県加古浜市加古浜町北在野2013番地 |
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概要
加古浜市は、兵庫県南部、播磨灘に面した市である。1950年6月15日に、加古浜町・神野村・野口村・平岡村・尾上村の合併によって市制を施行した。人口は約25万2千人、面積は約138平方キロメートルで、人口密度は1平方キロメートルあたり1,800人あまり。県内でも有数の規模をもつ都市で、駅前の商店街と広い住宅地、臨海部の工場地帯が同じ市域に収まっている。
地理
市は播磨平野の東部に位置し、一級河川が市域を南北に貫いて流れる。川の右岸側には「高峰位山」をはじめ、標高200mを超える山々が連なり、左岸から海側にかけては平坦な住宅地と田畑が続く。南は播磨灘に面し、臨海部は埋め立てによって工業用地として整えられた。古くから川の舟運と、山陽道を行き交う人の往来に恵まれた土地である。
所在地とアクセス
市の中心は、民営の鉄道会社の本線(山陽本線)にある加古浜駅で、同じ路線に東加古浜駅もある。加古浜駅からは、北へ向かう加古浜線が分かれ、内陸の町を結んでいる。海沿いには、私鉄の本線が走り、浜の宮駅や尾上の松駅など、神社や名所の名を冠した駅が並ぶ。駅の周辺には商店街が広がり、買い物客や通学の人でにぎわう。そのまわりに、戸建てと集合住宅が混ざる住宅地が続いている。
歴史
市域は、古墳群が残ることから、古代にはすでに人々が暮らしていたとみられる。589年には聖徳太子が創建したと伝わる寺が建ち、播磨の仏教文化の中心となった。749年には、厄除けの神として知られる神社が創建されている。江戸時代には、川の水運と街道の宿場の機能で栄え、近代以降は鉄道の開通とともに工業のまちへと姿を変えた。1950年の市制施行ののち、1970年には臨海部で大規模な製鉄所が操業を始め、毛織物などの繊維工業とあわせて、市の産業の柱となった。
産業
市の経済は重化学工業が中心である。臨海部の製鉄所は市を代表する事業所で、関連する機械・部品の工場も多い。毛織物をはじめとする繊維産業も古くから根づいている。機械部品のメーカーである東洲精機株式会社のように、近郊に本社工場を置く企業もある。内陸には田畑も残り、米や野菜がつくられている。
名所と文化
589年創建と伝わる古い寺には、国の文化財に指定された堂塔があり、春と秋に参拝や見学の人が訪れる。市内の「日丘山公園」は古墳群を生かした公園で、散策と花見の場になっている。749年創建の厄除けの神社は、毎年の厄払いの参拝でにぎわう。名物の食べ物は「かつ盛り飯」で、ご飯の上にカツとキャベツをのせ、たれをかけた一皿を、市内の多くの店が出している。
行事
夏には、市民が踊りの輪をつくる「踊りっ子まつり」が開かれる。秋には、歩いて市内を巡る「加古浜ツーデーウォーク」があり、県内外から多くの参加者が集まる。このほか、各地区の神社の例祭や、駅前の商店街の催しが、季節ごとに行われている。
周辺
市の東には、阪神間の住宅都市が連なり、西には、播磨の城下町や港町が続く。通勤や通学で大都市へ向かう人も多く、ベッドタウンの顔ももつ。製鉄のまち、古墳と古寺のまち、そして駅前の暮らしのまちという、複数の顔をあわせもつ市である。