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上沢市(かみさわし)
長野県の東部、上沢盆地にある人口約14万8千人の市。旧市街には城下町の名残と上沢城跡公園があり、東部には桜台などの住宅地、郊外には工業団地が広がる。温泉、高原、古い寺も多い。
概要
上沢市は、長野県の東部にある市である。人口は約14万8千人(2026年10月の推計)、面積は約552平方キロメートルで、県内でも人口の多い市の一つにあたる。市域は上沢盆地のほぼ全体を占め、盆地の真ん中を大きな川が東から西へ流れて、まちを南北に分けている。旧市街には城下町の町割りが残り、その中心に上沢城跡公園がある。東部には桜台などの住宅地が広がり、郊外の工業団地には電気機器や自動車部品の工場が集まる。北には菅ヶ平高原、南東には美ノ原高原があり、盆地のまちと、高原や温泉の観光地を一つの市の中にあわせもっている。
地理
市の中心は、標高約450〜500メートルの上沢盆地である。大きな川の支流として、神瀬川、浦野瀬川、依田野川などが山あいから盆地へ流れ込み、川沿いに田畑と集落が並ぶ。北東の県境には標高2,354メートルの四阿嶺がそびえ、そのふもとに菅ヶ平高原が開ける。南東は美ノ原高原へ続く山地である。盆地は雨が少なく、晴れの日が多い。夏と冬の寒暖の差が大きい内陸の気候で、冬は冷え込むが、雪はそれほど多くない。
歴史
天正11年(1583年)、戦国の武将・真森氏が上沢城を築き、城下町がつくられたのがまちの始まりとされる。天正13年(1585年)の第一次上沢合戦では、のちの初代将軍の大軍を小さな城で退け、慶長5年(1600年)の第二次上沢合戦でも敵の大軍を足止めしたことで、城の名は広く知られた。元和8年(1622年)に真森氏は北の松代へ移り、そのあと上沢藩は仙岩氏、宝永3年(1706年)からは譜代の大名家が治めた。この家の支配は明治まで約160年続いた。明治4年(1871年)の廃藩置県を経て長野県に入った。近代には蚕の種づくりと製糸が盛んになり、「蚕の都」と呼ばれた。大正8年(1919年)に市制をしき、平成18年(2006年)3月6日に丸古町・真森町・武岩村と合併して、いまの市になった。
産業
製造業が盛んで、電気機器や自動車部品などの製造品出荷額は県内で2位である。小型モーターや計測器のメーカーなどが市内に本社や工場を置き、郊外の工業団地には部品工場や物流の拠点が並ぶ。工業団地には、県内の工場の荷を関東へ運ぶ上沢高原運輸株式会社などの運送会社もある。農業では、ぶどう、りんごなどの果物と、高原の白菜・キャベツなどの野菜が作られ、山あいでは秋に松茸がとれる。
交通
上沢駅は市の玄関口で、平成9年(1997年)10月に新幹線が開業し、首都圏と短い時間で結ばれた。在来線は第三セクターの鉄道が東西に走り、私鉄の別処線が上沢駅から南西の塩野田地区を通って別処温泉まで延びる。道路では、自動車道の上沢菅ヶ平インターが市の北東にあり、菅ヶ平高原や県外への行き来に使われる。
見どころ
上沢城跡公園は、石垣と復元された櫓門、堀あとを残す市民の憩いの場で、春には桜の名所になる。南西の塩野田地区は古い寺社が多く、「信州の小鎌倉」と呼ばれる。別処温泉には、八角三重塔をもつ安楽院や北面観音があり、近くの前峰寺も古寺として知られる。旧市街の東には、古代の国分寺の跡がある。温泉は別処温泉のほか、山あいの湯治場の鹿境湯温泉がある。菅ヶ平高原は、ラグビーなどの合宿の地として知られ、夏は運動の宿泊施設が多くの学生でにぎわう。
暮らしと教育
旧市街と東部の住宅地には商店や診療所が集まり、住宅地の中にはかみさわ北クリニックのような身近な診療所もある。東部の桜台の住宅地には桜台ひろばなどの小さな公園があり、近所の人の散歩や子どもの遊びに使われている。高等教育では、製糸のまちの歴史を受け継ぐ南嶺大学の繊維学部のほか、公立の大学、短期大学があり、高校は公立と私立をあわせて10校ほどある。