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柾森神社(まさもりじんじゃ)

別名: 柾森さん、柾森八幡宮

小柾市の上元折町の住宅地にある小さな神社で、6世紀の創建と伝わり、古い記録の神名帳にも名が載っている。平家方の老将が着けた兜を伝える社として知られ、毎年1月には境内で左義長が行われる。

概要

柾森神社は、小柾市の上元折町にある神社。家々に囲まれた小さな社だが、創建は6世紀初めと伝わり、平安時代にまとめられた『延喜式神名帳』にも名が載る、古い由緒をもつ神社である。平安時代の半ばに近くの八幡宮をあわせて祀り、それからは「柾森八幡宮」とも呼ばれてきた。源平の戦いで討たれた平家方の老将の兜を伝える社として知られ、江戸時代の俳人がこの兜を見に立ち寄ったことでも名が通っている。地元では「柾森さん」と呼ばれ、初詣や毎年1月の左義長(しめ飾りなどを焼く火祭り)で、近所の人たちが集まる場になっている。

所在地とアクセス

所在地は小柾市上元折町72番地。市の中心部の西寄りの住宅地にあり、民営の鉄道会社の小柾駅から歩いて10〜20分ほどかかる。駅前からバスも使える。車なら、自動車道の小柾インターから約5km、10分ほどで着く。境内には無料の駐車場が10〜20台分ある。参拝は自由で、お金はかからない。社務所には電話の窓口がある。南西の方角には小柾空港があり、境内の上空を、着陸に向かう旅客機が低く通っていくことがある。

歴史

社に伝わる話では、創建は503年。のちに天皇となる皇子が、当時の天皇の代に神を迎えて祀ったのが始まりとされる。平安時代には『延喜式神名帳』に名が載り、国から認められた神社の一つに数えられた。寛弘5年(1008年)には、舟浦の松ヶ原にあった八幡宮をあわせて祀り、八幡の社としての性格を強めた。
寿永2年(1183年)、北陸の古戦場での戦いのあと、源氏方の武将が、討たれた平家方の老将を弔い、あわせて戦の勝利を願って、その老将が着けていた兜を当社へ納めたと伝わる。江戸時代には、寛永17年(1640年)に加賀藩の三代藩主が社地を寄進して、藩からも重く見られた。元禄2年(1689年)には、東北と北陸を巡る紀行の途中だった江戸時代の俳人が2度訪れて兜を見ており、兜の下で鳴くこおろぎを詠んだ句が、いまもよく知られている。

祭神と信仰

古くから土地に祀られてきた神に、合祀した八幡の神を加えて祀っている。八幡の神は武運の神として信仰されてきたが、いまは家内安全、厄除け、子どもの成長を願う人が多い。正月の初詣は1月1日から15日まで続き、小正月の左義長で正月の行事を締めくくる。近所の家にとっては、お宮参りや七五三、地区の祭りでなじみのある、町の氏神である。

境内と宝物

境内は広くないが、鳥居から拝殿までの参道と社殿、手水舎、俳人の句碑がそろい、木々に囲まれた静かな場所になっている。いちばんの宝は、老将の兜とされる甲冑の一部で、国の重要文化財に指定されている。そのほかの古文書や奉納品とともに、境内の宝物館で保管している。宝物館を見るには予約が必要で、拝観料は300円。句碑や兜を目当てに、俳句や紀行を好む人が遠くから訪れることもある。

左義長

毎年1月、境内の中央に竹を組んだやぐらを建てて、左義長を行う。近所の人たちは、正月のしめ飾りや門松の飾り、1年間受けたお札やお守りを持ち寄り、受付に預ける。持ち寄った品をやぐらに納め、朝9時ごろに火を入れると、青竹がぱちぱち、ぱーんと弾ける音を立てて燃え上がる。この火で正月の神を送り、1年の無病息災を願う。冬の北陸らしく、雪かきをした境内で行われる年も多い。2024年には、元日に起きた大きな地震を受けて、受付の隣に義援金の箱が置かれた。

周辺

上元折町のあたりは、古い町並みと新しい住宅が混ざる住宅地で、近くには市内のほかの古い神社や寺もある。境内から南西の空を見ると、小柾空港へ降りていく旅客機が見え、飛行機と神社の行事をいっしょに写真に収めようとする人もいる。小柾駅のまわりには商店や飲食店が集まり、参拝の前後に立ち寄りやすい。

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