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瀬登市(せとし)

別名: 瀬登、瀬登焼のまち

愛知県北部にあり、陶器と磁器の産地として知られる焼き物のまち。1929年に市制を施行し、窯元や工場、資料館、窯道具を積んだ塀の小道が残る。

概要

瀬登市は、愛知県北部の丘陵地にある市。面積は約111km²、人口は約12万人で、県都にあたる大きな市の北東に隣り合う。1929年(昭和4年)10月1日に市制を施行し、愛知県内では5番目の市となった。

古くから陶器と磁器の産地として全国に知られ、焼き物を指す言葉がこのまちの名から日常語として広まったほど、窯業と深く結びついている。市域には窯元や工場、陶器の問屋、焼き物の資料館が点在し、家々の塀や擁壁に窯道具が使われた景色も見られる。

地理と交通

市域は丘陵と谷あいが入り組み、良質な陶土が採れる土地がまちの成り立ちを支えてきた。市街地は川沿いの低地に広がり、周囲の丘陵地には住宅地や緑地が続く。

鉄道は、県都の中心部と市街地を結ぶ私鉄の瀬登線と、県内の内陸部を巡る第三セクターの鉄道が通る。私鉄の瀬登線は通勤・通学と観光の足として使われ、県都方面との往来が盛んである。道路は国道と自動車道が市域を通り、工場の荷や製品の出荷を支えている。

歴史

焼き物づくりは10世紀ごろに始まったとされる。鎌倉時代には、陶祖と仰がれる人物がこの地で陶器の製造を始め、以後、窯業の中心地として発展した。江戸時代には領主の藩の保護と統制のもとで独占的な産業となり、藩の財政を支える存在でもあった。

18世紀後半には、他国で技術を学んだ職人が磁器の製法を持ち帰り、磁器の生産が始まった。これにより、従来の陶器に加えて、白く薄い磁器の食器が盛んに作られるようになった。明治以降は輸出向けの陶磁器が増え、海外の博覧会にも出品された。昭和に入り、1929年の市制施行を迎えた。

2005年には3月から9月にかけて開かれた国際博覧会の会場の一つが市内に置かれ、まちが広く注目された。

産業と特徴

中心となるのは窯業で、食器や置物、タイルのほか、電子部品や産業用の特殊な焼き物にも技術が生かされている。伝統的な食器や置物をつくる会社には、1921年創業の丸二陶苑がある。

焼き物の周辺では、金属加工も根づいている。昭和8年創業の瀬登鋳工のように、工作機械用や水道バルブ用の鋳鉄品を鋳造する会社があり、窯業と並んでものづくりのまちを形づくっている。

市内には窯業の高校として県立瀬登窯業高校があり、焼き物の技術と造形を学ぶ生徒が通う。焼き物の技術を次の世代へ引き継ぐ場として、地域に根づいている。

見どころと文化

窯元が並ぶ一帯には、使い終えた窯道具や焼き損じの陶片を積んで築いた塀が続く小道があり、歩いて巡れる。かつての窯の煙突や登り窯の跡、焼き物の資料館や陶芸体験のできる施設もあり、観光で訪れる人も多い。

市の名を冠した瀬登焼は、釉薬の種類の豊富さで知られる。灰釉や鉄釉、藍色の染付などがあり、食器から工芸品まで幅広く作られてきた。

行事

毎年9月の第2土曜日とその前日には、焼き物の大きな祭りが開かれる。市街地の通りには窯元や商店が出店し、普段は出回らない安価な陶器や掘り出し物を求めて、県内外から多くの人が訪れる。祭りのほかにも、春には窯元をめぐる催しが行われ、新作が並ぶ。

周辺

県都へは私鉄で一本で結ばれ、通勤・通学の人も多いベッドタウンの顔をもつ。市の周辺には丘陵の緑地や溜め池が広がり、窯業のまちらしい景観と自然が隣り合っている。

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