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臼沢市(うすざわし)

別名: 臼沢、臼沢の城下町

大分県東部、入り組んだ湾に面した小さな城下町・港町。漁業と醸造の営みが続き、石畳の坂道や武家屋敷、寺院、磨崖の石仏群など、石造りの町並みと文化財がよく残る。

所在地大分県臼沢市大字臼沢72番地1

概要

臼沢市は、大分県の東部、入り組んだ湾に面した小さな市である。湾に浮かぶ小島に城が築かれて以来、およそ450年にわたって城下町・港町として栄えてきた。いまも漁業が営まれ、港には漁船が並ぶ。武家屋敷や寺院の並ぶ石畳の坂道、岩山を切り開いた道、石を積んだ塀など、石造りの町並みがよく残っており、歩いて巡る観光客も多い。人口は数万人規模で、県庁所在地の大文市からは東へ車で1時間ほどの距離にある。

所在地と地勢

市域は、湾に面した平野部から、背後の丘陵、山あいの集落までが続く。港のまわりに旧城下の市街地が集まり、その背後の高台に寺や武家屋敷の地区が連なる。湾は奥が深く、風が穏やかなため、古くから船の停泊地として好まれた。海と川と山が近いため、魚介、米、野菜がそろい、食文化の土台になっている。気候は瀬戸内に近く温暖で、冬も雪はまれである。市内には中規模の総合病院として沢辺総合病院があり、地域の医療を担う。

歴史

16世紀なかば、キリスト教に帰依した戦国大名が湾に浮かぶ島に城を築き、本拠地とした。この時代は南蛮との交易も盛んで、港町として大いににぎわったと伝わる。島はやがて陸続きとなり、城下の町人地が広がった。17世紀前半には、城下の高台の地区に多くの寺院が建てられ、寺町が形づくられた。江戸時代には小藩の城下町として続き、武家地と町人地が分かれた町割りが、現在の街路にも受け継がれている。近代以降も、港と漁業、醸造の町として暮らしが続き、昭和の中ごろに周辺の町村との合併を重ねて現在の市域となった。

町並みと見どころ

代表的な景観は、武家屋敷と寺院が並ぶ石畳の歴史の道である。岩山を切り割ってつくられた切通しの坂があり、静かな石の道と土塀が、城下の面影を伝える。また、山あいの崖には、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたと伝わる磨崖の石仏群があり、4群あわせて61体がすべて国宝に指定されている。古い町家や蔵が並ぶ通りには、味噌や醤油、酒の醸造蔵が今も店を構え、のれんをくぐる見学者が絶えない。城の跡は公園として整えられ、春には桜、初夏にはツツジが石垣を彩る。

産業と食

港では、アジ、サバ、タチウオ、ブリなどの水揚げがあり、とくに関アジに連なる湾内の良質な魚が料理店や市場に出回る。フグ料理も名物のひとつで、冬の観光客を迎える。加工業では、干物や練り製品をつくる水産加工会社があり、潮見海産株式会社のように、塩だけで味つけした干物と急速凍結の冷凍品で知られる会社もある。醸造では、味噌・醤油・酒のほか、米麹を使った甘酒や漬物の素などが受け継がれ、郷土料理のきらず(おからを使った和え物)や黄飯(くちなしで色をつけた炊き込みご飯)は、祝いの席に欠かせない。

行事と暮らし

年間を通して、寺社の祭礼や港の行事が行われる。秋には城下の通りを石畳の灯りで飾る夜の催しがあり、竹の灯籠が坂道を照らして、石の町並みが幻想的な姿になる。港では漁の安全と豊漁を祈る祭りがあり、漁船が旗を掲げて湾をめぐる。住民の暮らしは、港と市場、醸造蔵、観光の宿や店が互いに支え合う形で成り立っており、古い建物を修理しながら住み続ける人も多い。

アクセス

民営の鉄道会社の本線から分かれる支線の駅が市の玄関口で、駅から港や歴史の道までは歩いて回れる距離にある。県内の主要な市とは国道で結ばれ、大文市の方面から車で来る観光客も多い。港からは対岸方面へ向かう船の便もあり、海路の玄関でもある。

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