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宝善寺(ほうぜんじ)

別名: 七宝嶺宝善寺、お寺さん

観音浜市にある真言宗の寺で、山号は七宝嶺、本尊は聖観音菩薩。檀家は約280軒で、本堂・庫裏・鐘楼と広い境内をもち、国の重要文化財の本堂と四国霊場の札所として知られる。

概要

宝善寺は、観音浜市にある真言宗の寺である。山号は七宝嶺、本尊は聖観音菩薩。檀家は約280軒で、本堂・庫裏・鐘楼を備え、広い境内をもつ。海沿いに寺と田んぼが広がる観音浜市のなかでも、市の名にかかわる古い寺として知られ、地元では「お寺さん」と呼ばれて、法要や墓参り、彼岸の行事に人が集まる。四国の霊場をめぐる巡礼の札所でもあり、檀家の人びとと遠方からの参拝者の両方に開かれた寺である。

所在地とアクセス

寺は市街地に近い小高い山の中腹にあり、麓の町筋から石段と参道をのぼって山門に至る。海に近い町の寺で、参道の途中から市街地や海のほうを見渡せる。巡礼の人は徒歩やバス、車で訪れ、境内には参拝者が使える駐車場もある。納経所は本堂の近くにあり、朝から夕方まで開いている。山を少しのぼった先には、同じ山の別の道から続く古い神社の境内もあり、寺と神社をあわせて参る人も多い。

歴史

寺伝によれば、飛鳥時代の大宝年間(701〜704年)に、法相宗の僧・日澄が山で修行をしていたとき、沖合に琴を奏でる老人を乗せた舟を見たという。老人は八幡の神であったと悟った日澄は、琴と舟を祀って八幡宮を開き、その神宮寺として当寺を建てた。当初の寺号は宝光院と伝わる。

平安時代初めの大同2年(807年)には、弘法大師が第7代の住職となり、中金堂に聖観世音菩薩の像を刻んで本尊とし、寺号を七宝嶺宝善寺と改めたと伝えられる。以後、真言宗の寺として続き、明治の神仏分離では神社と寺が分かれ、境内を同じくしながら別々の札所として今に至る。

建物と見どころ

本堂(金堂)は大永5年(1525年)の建築で、国の重要文化財に指定されている。藤原時代の終わりごろにつくられた木造の釈迦涅槃仏像も文化財として守られている。県の文化財には、木造の大日如来坐像・薬師如来坐像・釈迦如来坐像などの仏像や、古い梵鐘、寺に伝わる古文書が含まれる。庫裏は住職の暮らしと寺務、檀家の相談や法要の準備に使われ、鐘楼は朝夕と年末の除夜の鐘で町に音を響かせる。本堂の床は檀家や手伝いの人の手でていねいに磨かれ、境内の掃除も日々の務めとなっている。

行事と暮らし

年間を通じて、正月の初詣、春と秋の彼岸、お盆の施餓鬼、年末の除夜の鐘などの行事が営まれる。とくに彼岸には参拝者が多く、お供えの台や座布団を並べ直し、お塔婆の申し込みを受け付けるなど、寺の人びとが準備と片づけに追われる。檀家からの届け物を分け合う光景も、寺の日常のひとつである。法要の日取りは、遠方に住む家族の都合に合わせて変更することもあり、住職と檀家のあいだで細かな調整が続けられている。

地域とのかかわり

宝善寺は、檀家約280軒の菩提寺として、葬儀、年忌法要、墓地の管理を担ってきた。巡礼の札所としては、白衣の巡礼者に納経と御朱印を授け、遠くから訪れた人に茶を出すこともある。広い境内は、地元の人の散歩や季節の花見の場にもなり、市の中でも落ち着いた雰囲気を保つ場所として親しまれている。

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