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雄鹿沢今之宮神社祭(おじかざわいまのみやじんじゃまつり)
今之宮神社の例祭にあわせて、全面に彫刻を施した20台ほどの屋台が雄鹿沢市の中心部を巡る秋祭り。国の重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている。
概要
雄鹿沢今之宮神社祭は、今之宮神社の例祭にあわせて、毎年10月の第2土曜日と日曜日に行われる祭りである。氏子の町から彫刻を施した囃子屋台が曳き出され、市の中心部の通りを巡る。雄鹿沢市の秋を代表する行事として「雄鹿沢秋まつり」とも呼ばれる。平成15年2月に「今之宮神社祭の屋台行事」として国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年12月には「山・鉾・屋台行事」の1つとして、ユネスコの無形文化遺産にも登録された。
沿革
祭りの起こりは慶長13年(1608年)と伝えられる。この年、ひどい干ばつに見舞われた氏子や近隣の村の人々が、今之宮神社で三日三晩の雨乞いをしたところ、激しい雷雨になった。この霊験に感謝して神幸が営まれるようになり、その付祭として、氏子が動かせる屋根つきの舞台で踊りを披露したのが屋台行事の始まりとされる。当初の祭日は6月20日であった。
屋台は、近世後期に日晃の宮大工の影響を受けて造られるようになったとされる。現存する最古の屋台は、文化年間(1804年〜1818年)の製作である。文政10年(1827年)に踊りや芝居を禁じる令が出されると、彩色を控えた白木造りで、白木の彫刻を見せる屋台へと移っていった。明治15年(1882年)には、屋台の繰り込み・繰り出しや神輿巡幸のならわしの基本が定められ、大正年間にかけて盛大に行われた。太平洋戦争で一時中断したが、氏子町の熱意によって再びさかんになり、今日に至っている。江戸時代に造られた屋台も、修理を重ねながら今も曳かれている。
彫刻屋台
屋台は四輪一層の館型の囃子屋台で、幅約3メートル、奥行き約3.6メートル、高さ約3.6メートルほどある。外側のほぼ全面が、龍や獅子、花鳥、故事を題材にした豪壮な彫刻で飾られる。仕上げには、彩色の漆塗り、彩色をしない漆塗り、白木のままのものの3種類があり、屋台ごとに題材や意匠も違うため、見比べるのも楽しみの1つである。内部は2つの部屋に分かれ、一方は囃子方、もう一方は踊りや演奏の場として使われる。
囃子と曳き回し
囃子は笛1人、鉦1人、小太鼓2人、大太鼓1人の5人で受け持つ。江戸の祭囃子の流れをくむもので、「江戸ばか」「昇殿」「神田丸」「鎌倉」「四丁目」の5曲をひとまとめにした五段囃子が奏でられる。屋台は氏子の人々が曳き、町なかの辻では、向きを変えたり、屋台どうしがすれ違ったりする場面が見どころとなる。交差点などで複数の屋台が向かい合い、競うように囃子を打ち合う「ぶっつけ」では、まわりの見物客の掛け声も加わって祭りは最高潮に達する。夜には提灯に灯がともり、昼とは違う姿を見せる。
氏子町と運営
今之宮神社は中心部の34か町の氏神とされ、そのうち屋台を持つ27か町から、毎年20台ほどが祭りに参加する。氏子町は4つの組に分けられ、回り番で当番組をつとめる。この当番組から、祭りの運営を取り仕切る一番町が出る。屋台の管理や囃子の継承は、それぞれの町内の若者組や囃子の会が担っている。
開催の様子
初日には、各町の屋台が神社へ向かう「繰り込み」を行い、神前に囃子を奉納したのち、それぞれの町へ戻る「繰り出し」を行う。2日目には神輿が巡幸し、屋台がそれに従って市街地をそろって巡る。町の鎮守の祭礼であると同時に、木工のまち雄鹿沢の彫刻の技を見せる場にもなっており、市の誇りとして受け継がれている。