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登波市(とはし)
宮城県北部にある人口約6万8千人の市。北守川の流域に水田が広がる米どころで、畜産も盛ん。郊外には北守川に近い集落が点在し、中心部には商店街がある。
概要
登波市は宮城県北部にある市で、面積は約536平方キロメートル、人口は約6万8千人。西は丘陵地、東北は山間地で、そのあいだの平地に水田が広がる。郊外には北守川に近い集落が点在し、中心部には商店街がある。市の産業は第一次産業が中心で、米づくりと畜産で知られる。県内でも広い市域をもち、田園と沼、古い町並みが一つの市の中に並んでいる。
地理
市内を北守川、迫瀬川、夏瀬川の三つの川が流れ、流域に平野が開けている。平地には葦津沼と内ノ沼があり、水鳥の渡来地として国際的な湿地の登録を受けている。ほかに長ノ沼や平筒沼といった沼もあり、冬には多くの渡り鳥が羽を休める。沼のまわりには遊歩道や観察の場所が整えられ、早朝には野鳥を見に訪れる人の姿がある。気候は内陸型で、夏は蒸し暑く、冬は冷え込むが、海に近い地域に比べると雪は多くない。春先には川から水田へ水が引かれ、広い平野が一面の水鏡になる。
歴史
平安時代の末、奥州の豪族が滅んだあと、この地は葛原氏が治めた。1590年の奥州仕置で領主が替わり、1601年に仙堂藩が成立すると、その領地に組み込まれた。江戸時代には北守川の舟運で米を運ぶ拠点として栄え、旧登波町には水運にちなむ町並みが育った。年貢米は川を下って河口の港へ送られ、そこから江戸へ運ばれたため、川沿いには米蔵や問屋が並んだ。1876年に宮城県に編入された。2005年4月1日、登波郡の8町と本芳郡の津野山町が合併して、現在の登波市が発足した。合併後は旧町ごとに支所が置かれ、それぞれの地区の祭りや行事が受け継がれている。
産業
農業産出額は東北でも上位に入り、約300億円にのぼる。水田ではうるち米の主力銘柄が広く作られ、「米どころ」として全国に出荷される。冬の水田に水を張って水鳥の休み場とする取り組みや、農薬や化学肥料を減らした米づくりも進められ、沼の環境と農業を両立させる試みとして知られる。肉牛や養豚、養鶏などの畜産も盛んで、津野山地区や東和地区では林業も営まれている。市の中心部の商店街には、米穀店や衣料品店、飲食店が並び、農家の人の買い物の場にもなっている。農協の集荷場や精米の施設も市内に点在し、収穫期の秋には大型の農機やトラックが行き交う。
見どころと文化
旧登波町の一帯には明治期の洋風の学校や役所の建物が残り、「みやぎの明治村」と呼ばれることもある。長ノ沼のほとりの公園には、水鳥を眺める展望の施設や遊歩道があり、家族連れの散策に使われている。北守川ぞいの集落では、田植えや収穫を祝う行事、神社の例祭が続いており、獅子舞や神楽が奉納される地区もある。商店街では季節ごとの市が開かれ、地元の米や野菜、畜産物を使った食べ物が並ぶ。郷土の料理には、米を使った餅料理や、地元の肉を使った鍋などがある。
交通とくらし
市内には鉄道の駅がいくつかあり、中心部の駅から仙堂市方面へ向かう。道路は国道と県道が市内を縦横に通り、自動車道のインターも近く、通勤や物流の便がよい。市の中心部には市役所の庁舎や病院、学校、商店街がまとまり、郊外の集落からは車やバスで通う人が多い。広い市域のため、旧町ごとに支所や公民館が置かれ、暮らしの用事を身近な場所で済ませられる。高齢化と人口の減少が課題で、農業の担い手の確保や空き家の活用、観光での交流人口の拡大に取り組んでいる。
周辺
南には県内第二の人口をもつ港のまち、岩巻市があり、北嶺川の流れを通じて古くから米や物資の行き来があった。西側の丘陵を越えれば、城下町の白岩市など県南部へも通じる。北は県境に近い山あいで、隣県との行き来もある。沼と水田、古い町並みをあわせもつ登波市は、東北の米どころの代表的な市の一つとして、農と自然の暮らしを今に伝えている。