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唐浦市(からうらし)
佐賀県北西部、西の灘に面した人口約11万人の城下町。県内で最も広い市域に、海辺の松原、築城400年を超える城、秋の曳山祭、焼き物、炭鉱と港の歴史をあわせもつ。
概要
唐浦市は、佐賀県の北西部、西の灘に面した海沿いの城下町である。人口は約11万人で、県内では早賀市に次ぐ2番目、市域の面積は約488平方キロメートルで県内で最も広い。平野と丘陵台地、入り江の続く海岸線、離島までを一つの市がかかえ、城下町、港町、炭鉱のまち、焼き物のまちといった複数の顔をもつ。東経130度の経線が市域のほぼ中心を通っていて、自動車道のインターには、それを示す標識が立っている。
地理と気候
市の中心部は、松野川と玉洲川が運んだ土砂でできた平野に広がる。その周囲には「上場」と呼ばれる丘陵台地が続き、畑や牧場、棚田が見られる。北は西の灘に開き、浜辺と岬、小さな漁港が点在する。海岸には長い砂浜が弧を描いて続き、背後に防風林として育てられた松林が連なる。この松原は国の特別名勝に指定されていて、日本三大松原の一つに数えられている。
歴史
古くから大陸への玄関口として知られ、港を通じた交流の歴史がある。江戸時代の初め、1602年に築城が始まり、1608年に唐浦城が完成した。城は海に向かって羽を広げた鳥の姿にたとえられる。築城とあわせて、松野川の流れを付け替えて城下を水害から守り、海辺の松林を保護して育てるなど、大きな土木事業も行われた。城下町には、町人の暮らす町と武家地が整えられ、藩の中心として栄えた。
明治に入ると、1882年ごろから近郊の炭田で掘り出された石炭が、港から各地へ積み出されるようになる。1889年には町村制が施行されて唐浦町が発足し、同じ年に特別輸出港に指定された。1932年には市制を施行している。石炭の最盛期だった1955年ごろの人口は約18万人にのぼったが、炭鉱の閉山にともない、その後は減少が続いた。2005年1月に周辺の6つの町と1つの村が合併し、翌年にもう1つの村を編入して、現在の広い市域となった。
見どころと文化
- 海辺の松原:長さ約5kmにわたり、黒松が帯のように続く。夏は海水浴、ふだんは散歩やジョギングの場になる。
- 唐浦城:天守を復元した城で、石垣の上から市街と海を見渡せる。春には城のまわりの桜が咲く。
- 唐浦くんち:秋の神社の例祭で行われる曳山の祭り。漆と金箔で飾った十数台の巨大な曳山が、掛け声とともに城下の町筋を曳かれていく。国の重要無形民俗文化財にも指定され、市の人びとが一年を通して準備を重ねる。
- 唐浦焼:江戸時代から続く焼き物。素朴で、使うほどに味わいが出る茶碗や酒器が知られ、市内や周辺に多くの窯元がある。
- 呼浦の朝市:港町の朝市で、その日の海の幸や干物が並ぶ。イカの活きづくりは、海のまちならではの名物である。
- 豊臣秀吉の時代に大陸出兵の拠点として築かれた名護浦城跡があり、広い城跡が今も残る。
産業
2005年の調査では、第一次産業に従事する人が13.4%、第二次産業が23.4%、第三次産業が62.8%を占めている。海辺では漁業が営まれ、イカやアジ、サバなどが水揚げされる。台地では米、野菜、果樹、畜産が盛んである。観光と飲食、宿泊が市の経済を支え、製造業では、機械や食品などの工場が市内にある。市内には、住み込みの弟子を育てた岩尾左官店のような職人の店や、かつて作業服をつくった浦原縫製のような縫製工場もあった。
交通
鉄道は、民営の鉄道会社の唐浦線と筑肥線が通り、筑肥線は福丘市の地下鉄へ直通する電車も走っている。自動車では、西へ向かう自動車道が市内を通り、市の中心部の近くにインターがある。最寄りの空港は、早賀空港と福丘空港で、どちらも車や電車で行ける。
周辺
同じ佐賀県には、焼き物と港のまち伊万野市などがあり、海沿いに焼き物の文化がつながっている。市は、海外の都市とも友好都市の関係を結び、交流を続けている。城下町の歴史、海の景色、祭り、焼き物、新鮮な魚介を、一度に楽しめるまちとして、県の内外から多くの人が訪れている。