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北原八幡神社(きたはらはちまんじんじゃ)
韮岡市の北原地区、西の山すそにある古い八幡の神社。平安時代初めの創建と伝わり、戦国期に国主が建て直した本殿は国の重要文化財である。七五三や初詣、秋の例大祭で、地元の家族に親しまれている。
概要
北原八幡神社は、韮岡市の北原地区にある八幡の神社である。地元では「北原八幡さま」「北原の八幡さま」と呼ばれる。社伝によると、平安時代のはじめ、弘仁13年(822年)に創建された。のちに甲斐の国を治めた武家の氏神として大切にされた。いまの本殿は、戦国時代に国主が建て直したもので、国の重要文化財に指定されている。境内の摂社や石の鳥居、古い文書も、県の文化財になっている。ふだんは静かな地区の氏神で、七五三や初詣、厄除けなど、地元の家族が人生の節目にお参りする神社として親しまれている。
所在地とアクセス
神社は、韮岡市の市街地から西へ行った北原地区にある。山すその少し高いところにあり、まわりには果樹畑と住宅がまじる。晴れた日には、境内の近くから盆地と南の高い山並みが見わたせる。韮岡駅からはタクシーで約8分。境内のそばに無料の駐車場があり、ふだんは10台ほど、祭りの日は20台ほど停められる。参道は鳥居から石段を上って社殿へ続く。鳥居の手前には石垣が積まれている。地区の人の朝夕の散歩道にもなっている。
歴史
社伝では、この土地にあった古い王族の祠に、九州の八幡宮の総本社から神の分霊を迎えたのが始まりとされる。貞観年間(859〜876年)には、京の八幡宮からも分霊を迎えた。中世には、この地から名を起こした甲斐の武家が氏神として崇めた。天文10年(1541年)、家を継いだばかりの若い国主が、最初の大きな仕事として社殿を建て直した。普請の奉行は、家老の一人がつとめた。戦国時代の終わり、天正10年(1582年)には、国主の跡継ぎの夫人が家の行く末を祈る願文を納めた。この願文はいまも神社に伝わる。本殿は昭和4年(1929年)4月6日に国の重要文化財に指定され、昭和9年(1934年)に解体修理が行われた。
社殿と見どころ
本殿は、大型の「三間社流造」である。屋根は檜皮葺で、前面に3間の向拝と浜床を設ける。身舎の大きさは、桁行3間(約6.51メートル)、梁間2間(約3.49メートル)。軒は二軒の繁垂木で、方立の面には松や竹などの透かし彫りの彫刻がはめ込まれている。戦国時代の甲斐の社殿建築を伝える、細かな装飾が見どころである。本殿の手前には、祭りや祈祷を行う拝殿と、神楽を奉納する神楽殿が並ぶ。摂社の若宮八幡宮の本殿、参道の石の鳥居と二の鳥居、跡継ぎの夫人の願文は、山梨県の文化財に指定されている。境内には手水舎もあり、参拝者は手と口を清めてから石段を上る。
行事とお参り
大きな行事は、秋の例大祭である。毎年10月の連休のころに「秋の里まつり」として開かれる。当日は午前9時ごろから午後3時ごろまで、神楽殿で地元の神楽団が神楽を奉納する。猿田彦命の舞など、いくつもの演目が続く。午後は拝殿で祭典が行われ、午後3時ごろから神輿が地区を練り歩く。甘酒も、数を限ってふるまわれる。11月には七五三ののぼりが鳥居の横に立ち、晴れ着の親子連れが祈祷を受けに訪れる。正月には初詣の人が石段に並び、地区の人の初参りの場になっている。
周辺
神社のまわりは、桃やぶどうの畑と住宅がまじる、韮岡市らしい郊外の景色である。同じ北原地区には、地元の農家が育てた果物や野菜を売るkitahara-fureai-chokubaijoがある。参拝の帰りに、季節の果物を買っていく人も多い。