FC2

Field & Community Culture Platform

生活環境データベース » place

小槻市(こづきし)

別名: 小槻、小槻のまち

石川県西部の日本海側にある人口約10万6千人の市。城下町と湊町の歴史を背景に、建設機械などの機械工業、焼き物、曳山の芝居、空港をあわせもつ。住宅地、里山の公園、川沿いの遊歩道、海沿いの松林、古い町並みの商店街が暮らしに溶け込んでいる。

概要

小槻市は石川県の西部、日本海に面した市です。人口は約10万6千人、世帯数は約4万6千で、人口密度は1平方キロメートルあたり290人ほどになります。海沿いの砂丘と松林、平野に広がる住宅地と水田、東の丘陵と里山までを市域にもち、海から山まで一つの市のなかに収まっています。

機械工業の大きな会社の本拠地であることから企業のまちとして知られ、槻原機械株式会社のような産業機械の部品メーカーも根づいています。一方で、城下町と湊町の歴史、焼き物、歌舞伎にまつわる史跡など、文化の面でも語られることの多い市です。

地理と暮らし

市の中央を梯瀬川が日本海へ向かって流れ、その両岸に市街地が開けています。川沿いには遊歩道が整えられ、朝夕の散歩やジョギングに使われます。海側には防風と防砂のために育てられた松林が続き、浜へ出る散歩道になっています。

東の丘陵には里山の公園や湿地があり、野鳥や水辺の植物を観察できます。石川県内でも数少ない自然の湿地が残る木庭潟の周辺は、湖畔の遊歩道や自転車道が整えられ、市民の憩いの場です。住宅地は駅の周辺から郊外へ広がり、その中に小さな神社や公園が点在します。たとえば住宅地のはずれにある月見山神社は、杉に囲まれた苔むした石段で親しまれています。

歴史

中世には、日本海沿いの港と街道の拠点として栄えた土地でした。江戸時代の初めに、加賀の大藩の藩主が小槻城に入って城下を整え、藩の領地のなかでも重要な城下町になりました。その後、藩主が隠居城として使ったことでも知られます。

海沿いの安宅湊は、北前船の寄港地として栄え、古くから関所があった場所です。源義経の一行が関を越える場面は、歌舞伎の演目「御進帳」の舞台として全国に知られ、関跡には資料館や像が建てられています。

明治以降は、町村の合併を重ねて市域を広げ、昭和15年代に市制が敷かれました。戦後は繊維や機械の工場が増え、機械メーカーの発展とともに工業都市として成長しました。

産業

市の産業の中心は機械工業です。建設機械の大手メーカーの本社と工場があり、その関連会社や部品加工の工場が市内に集まっています。市内には槻原短期大学もあり、地域の人材を育てています。

伝統産業では、九多焼の窯元や絹織物の工房があります。農業は、平野の水田による米づくりを中心に、里山ではぶどうや野菜も育てられています。

見どころと行事

那多寺は、奇岩と苔の庭園で知られる古い寺で、紅葉の季節に多くの人が訪れます。粟生温泉は、開湯から1300年近い歴史をもつと伝わる古い温泉地で、市の観光の柱の一つです。

毎年5月に行われる天幕まつりは、数基の曳山を舞台に、子どもたちが歌舞伎を演じる曳山子ども芝居で知られています。曳山は、江戸時代から続く町衆の祭りとして受け継がれています。

交通

市の南西には小槻空港があり、航空自衛隊の基地と滑走路を共用しています。空港からは国内の主要都市へ向かう定期便が出ています。鉄道は北陸の幹線が市の中心部を通り、駅前から商店街、住宅地へと続きます。

町並みと商店街

旧市街には、城下町の面影を残す古い町並みがあり、その通りに沿って商店街が続いています。老舗の和菓子店や漬物店、金物店などが軒を連ね、祭りの時期には曳山が通る道としてもにぎわいます。郊外には大型の商業施設が増える一方、商店街は買い物と散歩の場所として使われています。市内の南部には郵便局として小槻南郵便局があり、住宅地の暮らしを支えています。

周辺

隣には、金洲市方面へ続く平野が広がります。石川県内には、半島の港と温泉のまちである七ツ瀬市などもあり、海沿いの街道と鉄道、道路で結ばれています。

PR 人気の商品(広告)

Supported by 楽天ウェブサービス